2020終わりますね

 

手に入れて嬉しくて、使いこなせるようになったら満足して飽きるのめっちゃわかる。

おそらく大概の人は、それはモノに対してだけど、私の場合はそれ以外、息をしているものにも当てはまる。

 

他に面白いものがあったらどんなにハマっていても忘れちゃう。

まじでクズだし気まぐれの極みだけど、そっちになびく。

 

人間関係で具体的にいう必要もないんだけど、基本的にいつでもさみしいんだけど、なんかこう、人に人生を預けるとか、そういうことをすることにめっちゃ抵抗がある。多分その根底には全てのトラウマ経験と、あと多分わたしが飽きっぽい旅人気質なのは大いにあると思う。

この人と落ち着いたところで、仮に?仮にだよ?もっといい人と出会って、あっこの人...ってなった時に、取り返しつかなくなってる肩書きになってるのが限りなくしんどい。多分結婚できない人ってこう言うことを永久に繰り返してるんだと思う。旅人気質というか、その場に留まらないというか。

 

若さは財産。

例えば、高校生のうちにたくさん青春や恋愛をした人とかは、大卒すぐ落ち着くとかも考えられるんだろうな。わたしこの10年まじからっぽだ。10年間空っぽだったのに、この先どう考えても実の詰まった生活なんかできっこない。

でも、自分のトラウマと向き合うなんてできない。わたしは、あえてこのトラウマと生きていくし、そうして傷ついて傷つけられて傷つけて、若い貴重な時間を消費して、若さって財産だったなぁと思って、30歳を迎えたい。そのとき一人であろうがそうでなかろうが、もうどうだっていい。わたしは自分に絶望しているし、この絶望に、何にもかえられない期待も感じている。

 

というわけで2021、ごめん、2020の最初の私、もう真面目になるとか、落ち着くとか宣言したのに、わたしはやっぱり真面目になんてなれないし、人を信用するなんて親以外無理。ただ、人を信用するという期待をしないでいられない。だから放浪するしかない。

やっと気づいたねよかったね。まだ24、あれもう24?!

わたしのこっそり大好きな北川景子戸田恵梨香も30前半で結婚したし、その年齢までには結婚できるといいね。

 

一年が過ぎるのは早い。

なのに、人生はまだ長いと思ってる。

なあ先人たち、人生は長かった?死ぬのなんか怖くないけど、時間が経つのは怖いよ。

メモ

 

簡潔に言うと、小学1年の時から震災までほぼ毎週のように通っていた富岡周辺に行ったら、心が死ぬどころか自分の役目の半端さと何もできない無力さと、でももっと何かしないといけないから大学院生活頑張ろうって思った話。 

 

久しぶりに故郷に帰ったり、親の転勤でいろんなところに住んだ経験のある人がその場所に帰ったりした時に、「懐かしい、でも変わったなあ」と思うことはよくあることだと思う。今やどこに住んでもどこに行っても再開発や建設ラッシュで街並みは2、3年も経たずに変わることは当たり前のことだし、そうした光景の変化にいちいち敏感になっている人の方が少ないのかもしれない。

 

でも、富岡駅に降りた時のあの気持ちは、多分その何にも当てはまらない、なんとも複雑で形容できない気持ちだった。

 

突如私の中で姿を失った富岡駅は、もっとボロボロで、道も舗装なんてされてなくて、隣にショップなんてなかったし、電車だってあんな立派な車両じゃなくて、時間によっては2両で、ボタンを押さないとドアの開かない、普通の横一列の、座るとミシミシ言うような常磐線だった。首都圏の電車だと、武蔵野線のボロい車両よりもっとボロい感じ。

 

何もかもがちぐはぐで、気持ちがどうにもどこにも収まりがつかない。

喜怒哀楽の何でもない、宙ぶらりんな感情。

 強いて言うなら、変わってしまったことをとにかく受け入れるように強いられているような感じ。どこからどこまでも強制される、受け入れろと言わんばかりの圧力を、富岡駅周辺から市街地までの道のりで、ただひたすらに感じさせられた。

 

塾に行く前によく寄っていた、店主のおじいちゃんが優しくてニッチなマンガ本ばっかり置いていた本屋さんだってなくなっていたし、駅自体の場所が少しずれたのか、まっすぐ歩いて出る道も違っていた。

ひたすら歩いて15分、ツルハと歩道橋のところに出るはずだった道ではなく、エネルギー館の方のトムトムの脇道に着いた。

 

道中、新聞社や新築の家やホテルもあって。

いっさい手の加えられていないボロボロになった家と、綺麗な家や事務所がポツンポツンと並んでいて、なのに道路は舗装されてとても綺麗で歩きやすくて、空気だって美味しい。それはそれは不気味だった。

 

深呼吸したくなったくらい綺麗だった。だけど、原発がすぐそばにあると言うだけで、なぜか深呼吸はできなかった。空間線量は十分に低いのに。

伊豆の修善寺駅に着いた時とその周りを散歩している時と気持ち的には違わない。「思ったよりなんもねぇ、、、」程度の気持ちだった。だけど、歩き進めて見慣れた市街地に着くまでに、どんどん気持ちは宙に浮いていく。

あれ、ここじゃない。ちょっと違うかも。

うわぁ、アトム寿司って今見るとマジで笑えねえ。

富岡は負けん!そうだよね、そうだよなぁ。

 

富岡は私にとっては双葉郡の中ではかなり身近なまちだった。

小さい頃からダンススクールで富岡に通っていたし、ダンスを辞めた後は富岡の塾に通った。

どっちも旧トムトムから歩いて3〜5分圏内の場所だったので、廃炉博物館になったエネルギー館なんてしょっちゅう遊びにきてたし、トムトムだって宿題したりケンタで買い物したり、忘れ物をしたら文房具屋さんで買い物したりとにかくお世話になった。

さくらモールになった今、おそらく内装自体はそんなに変わってないように思えたけど、フードコートはレイアウトも出店してる飲食店も変わっていた。

お気に入りの文房具屋さんも、お店の左奥にあった子どもの遊び場もはっきり覚えている。時間がなかったからしっかりさくらモールの中を見ることはできなかったからいまその場所がどうなってるのかはわからなかった。でも、ベニマルでは若いお姉さんがレジで仕事をしていたし、作業員の人たちの憩いの場になっていたし、あの場はしっかり経済は回っているように、復興の道を歩んでいるように見えた。

 

でも、帰還とか復興とか全町避難解除そんなことでは片付けられない問題ももちろんある。

それをまざまざと見せつけられた。

こぎれいになった廃炉資料館は、昔エネルギー館だったとは外見だけでは確信を持って思い出せなくて、スタッフの方に聞いてようやく思い出した。でも、私の思い出の「楽しかった」エネルギー館は「重々しい」廃炉資料館に姿を変えていて、もしかしたらエネルギー館もトトロ合衆国(?)を作ったタイミングみたいに変化をする時があったのかもしれないけど、そうして気付かない間にしれっと姿を変えて、しかも子どもの頃の楽しかった記憶をじわじわとぶっ壊されている感覚が本当にじわじわと心を侵食してきた。

泣きはしないし、変わったことを肯定もできないし、でも経済が回り始めて街が復活するのも素晴らしいことだと、いざ富岡を目の当たりにするとそう思える。

でも、車で数分走ればそこは帰還困難区域もあって、1Fもある。

その環境でまた暮らすことを前提として帰還宣言、避難解除をする行政には、正直疑問はまだ残る。

帰りたい人は帰ればいいし、帰りたくない人は帰らなければいい。それだけでは片付けられない問題だって山ほどあるのに、なぜ帰還を急ぐのか。

2023年春、現時点での帰還困難区域の一部も避難指示解除が予定されている。

たった4mの原子炉が事故っただけで、何万人もの人の人生がひっくり返った。安全とか安全じゃないとか今頃そんなことは言っても仕方がない。間違いなく事故があって露頭に迷う人がたくさんいた。地震そのものの被害によって苦しい生活を続けた人だっていた。その上で、一時避難だと思っていたのに帰れませんと言われるそのことの絶望は、もう誰にもわからないものだし、これ以上誰にもわかってほしくない。これ以上わかってしまう人を出さないのが、1番の対策なのではないかと思う。

 

わたしのSNS(インスタ)持論

 

SNSはいつから息苦しくなったのかと思う。

2010-11年はモバゲー、GREE、前略ブログ。

2011-2012あたりは記憶の限りではデコログやリアル、アメーバピグなどが台頭に立っていた。そしてもれなくそうしたサービスを網羅していたと思う。

やらないと友達との会話についていけないというのもあったけど、単純に良くも悪くも学校生活の延長感があった。

 

2012-2014年はGREEの衰退とmixi一強、そしてmixi衰退からのTwitter移行という流れが出来上がっていた。アンテナの高い子は2013年ごろからTwitterInstagramを併用し、そしてInstagramにストーリーという機能ができてからはTwitterすらも衰退した(というよりは併用することによりInstagram>Twitterの構図になった)ように思う。

 

いまこうして振り返って考えると、Instagram、さらにはストーリーというサービス(機能)が、日本社会では若者のSNSの使い方を変えた諸悪の根元であり、革命児的存在だ。

 

ストーリーの機能はデコログ、アメーバリアル、Twitter初期の「〜なう」機能を持ち、かつ24時間という時間制限によって「ちょっと身内的なポスト」という意味合いも持ち始めた。

インスタ映えという(クソみたいな)概念が生まれてからは「ポストするまでの映えではないけれど、とりあえず自分的にいい感じの写真が撮れた/シェアしたい写真が撮れたのでストーリー」という意味も持ち始めたと思う。

 

ただ、ここまで各種SNSを軽く分析するにあたっては、わたしが小3の時から掲示板に入り浸り、携帯を持ってからはGREEモバゲーmixi Twitter Facebook Instagramをフル活用してきたといういわば「SNSっ子」というバックグラウンドもあり、また、それらを通ってきたということも含めて、経験上、わたしはInstagramに対して「いままでのSNSで最もと言っていいほどのものすごい呼吸のし辛さ」を感じている。

 

映えないとダメ。バーチャルに交流が生まれる場所。見ないとダメ。いいねしないとダメ。

半ば強迫観念的な、「使い方」のベースが出来上がってしまっているSNSと変貌し、そのSNSの自由にコミュニケーションができたという利点はどこへ消えたのか。

 

あーだるいです。もうやってらんねんすよ。

でも離れることもできないんですよ、習慣になってるし、人と繋がってるベースですからね。

 

いままで心地よかったInstagramって、2015-16年のあたりの、「インスタ映え」という言葉はないけれど「少し粋な写真を厳選して載せる場所」として機能していたInstagram

そして同時期の「交流の場所」のTwitter

これらの機能がInstagram上に集約、厳選されて、今の Instagramになったような体感なのだけれども(ストーリーがTwitterの役目をのっとった形)、今の形のまま2015-16年の「誰も得しないし損しない自由だったInstagram」をわたしは使いたいわけですよ。

それは今はどうですか?映えだの匂わせだの、友達多いアピールですか〜とかお金あるアピールですか〜とかどうでもいい「自己顕示欲と自己承認のはざまで生まれて歪んだ嫉妬」みたいなのを生まないようにしないといけないみたいなステージになった。みんなポストした瞬間アーカイブして、3日後くらいに「show on profile」する理由はなに?いままでの投稿全部アーカイブする理由は何?個人差はあるだろうし世代によって使い方も違ってくるし変わってくるのはわかっているけれど、もしかしたらわたしがSNSに浸りつつも変わっていくSNSの姿を見ていられなくなって受け入れられないだけかもしれないけど、そうじゃねえ!そうじゃねえんだ!

わたしはわたしの知ってるSNSの使い方してえんだ!

 

つまりですね、「いや誰の目を気にすることなく好きなように投稿できてたInstagram一番楽しかったので、わたしそうするわ」です。

 

なので意味のわからない「海老が鎮座dopeです!」とか「完全防寒ババアが僕の名さ」とか映えでも萎えでもない絶妙なラインのInstagramの使い方をします。繰り返すけど、映えだの萎えだのそんな考え方のなかった時代のInstagramに戻りたいわけですわ。

だから映えも萎えもクソもないわけ。

わたしはSNSを自由に使うし、SNSに自由を取り戻したい。

画面の向こうの何考えてるかもわからない人に気をつかうSNSは本当に機能しているの?

自分がよけりゃあいいじゃん!

Social networking servicesだけど、self networking to social media でよくな〜い?英語できないから文法的に合ってるかわかんないけど。

 

自由に生きることが難しい世の中だからこそ息抜きくらい自由にやろ。

 

以上!

ありがとう2019、今年こそ幸せにしてくれ2020

 

あっという間に終わってしまった2019。

相変わらずボケーっと過ごしていたような、実はめちゃくちゃ走り抜けたようなゴチャゴチャの感覚のまま終わってしまいました。

 

卒論を書き終えてからというもの、なんでか言葉がうまく書けなくて、本当は書きたいことはたくさんあってアイディアには何個も溜まってる。でもうまく言葉に出来なくて結局少し書いて下書きにして今見たら何を書きたかったのか忘れてる。忘れるってことは一時的な興奮が勝った感情だったからそんなに気にしなくていいのかなって思うけど、頭に血が上って、その時書きたいほどの気持ちになったってことは、なんか切り捨てちゃだめなんじゃないかなと思って頑張って日付と内容と書き出しから記憶を引きずり出そうとしてる。まあでももう2020だし、忘れちゃってもいいかなとも思ってる。思い出せたり、また近い気持ちになったら書き直そうと思う。

 

2019はとにかくアップダウンの激しい年だった。

信用してた上司がめんどくさいし、不毛なことがたくさん起こるし、受験はあるし、大学は遠いし楽しくないし(楽しいときもあった)、夏は受験で捨てた上にアホみたいなことに巻き込まれて意図せずマイナス5キロ、その後どころか2020になってもクソみたいな状況は変わりそうにない。

2018の締めが悪かったから、ワインを嫌いになりかけていたけど、やっぱりワインは好きだし趣味になってるんだなと実感。2020はワインにしっかり向き合いたいし、大掃除で見つけた仕事ノートを見て、2017年のあの気持ちを忘れないでいたいなと思いました。

運動をはじめるも一時の熱で終了。いまはボチボチフィットボクシングに移行。

 

2020は割とアクティブに忙しく生きたい。初詣まで中野にいくという個人的快挙。

早速バイトは週3にしてみた。

大学は卒業できそう。

大学院の入学式は両国国技館になるらしい。武道館立ちたかったよオイ!

考えることが多くても、余計なことを考えなくていい生活をしたい。

そして何よりも、「普通の女の子」でいたい。これら全てができてやっと、自分の理想の「普通の女の子」である気がする。

 

というか、遠い昔から普通って何だろうってずっと考えて悩ましいレベルだし、普通になることが全て良いことではないとは思う。むしろ今まで世間の目に映る「普通」から少し逸脱したライフスタイルを好んでいたのに、急に普通になれっても無理がある。

というよりも、普通でいなければいけない自分を受け入れたいんだと思う。

 

実は、イタいオバさんとか見てると、羨ましかったりする。

「うわ、イタ〜い。ああいうおばさんにはわたしはなりたくないし、なれないな。でも、ああいうスタイルを自分がすることを受け入れられるマインドは持ちたかったな。」

的な。

 

自分の生きる狭い世界で想像する/される狭い普通の概念からこれ以上遠ざかりたくない。

でも、いっときは思い切って「どか〜ん!やっちゃった!」的なこともしたい。そして壊しちゃった普通を見て、「お、新種のレゴやんけ」ってまた組み立てて、その一回バラバラになった普通を携えて、もう一回その狭い普通に帰りたい。

普通って何かわかってないのに普通の話をしたって何も生まれないな。

2020年、無理やり普通を使って目標を立てるのなら

普通!を抜け出す!そしてそのあとも平然と普通であると口笛を吹く!さらには普通を吹き飛ばして、ワタシが普通って言えば普通なのよ。を誇りたい。

 

あ、2020年、留年しない、英語力落とさないが目標です。よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

バカはお前だよ、という言葉の怖さ

 

わたしのなにかを手に入れたとでも思っているかもしれないし、わたしのなにかを確実に捕らえたとでも思ってるかもしれないけど、いつからそれが実体だと思ってた?自分でもその自分が自分かわからないのに。影とか蜃気楼を瓶に詰めて遊んでる程度のことだよ。

ー キャバ嬢、2019年12月末日

 

バカはお前だよってよく言うじゃん、あれって多分自分がバカなのを分かってる人が逃げのために使う言葉だよね。バカなわたしにケツ振ってるバカはお前だよ、の場合もあるし、バカなあなたを追ってるわたしってバカ中のバカですね、の場合もある。

 

ー キャバ嬢、2019年12月末日

 

かれこれ7、8年近い友人の一人がキャバ嬢です。

キャバ嬢だからどうというわけでもないのですが、世間の思うキャバ嬢が「トップキャバ嬢」か、「メンヘラパキ系キャバ嬢」かに完全に振り分けられていると感じる今日この頃で、どっちでもないけどなんか妙にキャバ嬢らしいキャバ嬢。

わたしが大学に進学して、同時に彼女も東京進出して、最初の頃はわたしも友達もまだ東京に慣れなくてお互いに新宿でよく会ったりしていたけれど、1年の後期くらいからそれも無くなって、しばらく会うことはなくても時々連絡をとってたりはしていた。

突然、年末の旅行に誘われたので行ってきたけれど、性格は少しスレたような気がするけどあんまり変わっていなくて居心地は相変わらず良かった。

彼女は彼女なりに羨ましいと思える生き方をしていたし、わたしの生活も彼女からしたら羨ましい生活らしい。

大学に行って勉強して普通の金銭感覚で普通に友達がいて居酒屋で酒を飲める幸せというものがあるということに彼女はいま気づいたらしく、お水を上がりたいらしい。

しかしわたしは彼女こそお水が向いているんじゃないかと思う。

客にどんな迷惑をふっかけられても「ワイの仕事これやねん」で変なスタンプ送ってTwitterに晒したりもしなければちゃんと向き合うし、かといって水をしてる自分とプライベートの本人としての自分を生きわけてるし。

自分がどういう立ち位置なのかもわかってるし、どういうことを望まれているのかもわかっている。多分根本的に洞察力があって生き方がうまい。だからそんなに顔が可愛くなくともずっと上の方をキープできてるし山手線の内側にマンションを持ってる。

 

単刀直入に言えば彼女が年末に時はなった上の名言がわたしはめちゃくちゃ好きだし刺さったのだけれども、一つ言えるのは利口こそバカの掌の上で踊りがち、ということですね。

特に根拠もへったくれもないのですが、その中でも厄介なのは本当はめっちゃ利口なのにバカのフリして踊ってるフリをして裏ではほくそ笑んでる利口。マジで一番厄介。でも本当に一番厄介なのは、マジのバカ。

ここまで書いて/読んでわかると思うけれど、バカっていうのもひとくちでは語れないわけですわ。

アホに近い可愛いバカもいれば、利口が演じてる厄介なバカもいる。

だからこそ、バカの定義って難しいし、バカって演じるのって結構きつい。限界が来る。本当に「バカはお前だよ」って言葉は含みが多すぎるし、そりゃあ他者からバカだと言われるくらいのバカには理解できない言葉。

バカが一番賢いっていうのも利口は知っているし、バカになりきれない賢い人が一番損をする。

ああ、そうだねバカはお前だよ。バカになれたらいくぶんも幸せだったろうに。バカになれなかったんだね。利口になったのは、バカな選択だったねえ。

ほら、もうバカの意味はわからない。

 

 

 

 

わたし、多分こんなところで立ち止まってる女じゃない

 

カルティエ 時の結晶展、ギリギリですが見てきました。最高だった。

 

もともと母が若い頃からカルティエ好きだから財布から鞄から時計までカルティエ製品にわりと囲まれてきた。(囲まれてもないけど圧倒的にカルティエ“製品”がロエベなどと比べて家に多くあった)

 

でも、うちは資産家でもなんでもないので、ハイジュエリーはおばあちゃんが遺したブローチの1点しかなくて。

送られてくるパンフレットとか外商さんに見せていただいたときには蛇モチーフも虎モチーフもギラギラしてて怖くてたまらなかった。

だからカルティエはジュストアンクルとか時計とかそのくらいのベーシックなものしか目に触れないようにしてきた。

 

今回のエキシビジョンは70年代以降のものを中心に芸術としてのカルティエを推し出してるとのことだったけど、たしかに、ハイジュエリーを全面に出した展示というよりも「芸術としてのカルティエのジュエリー」ひいては「時の結晶」っていう言葉が会場を出る頃に身に染みるように展示が作られてた。

 

見ても欲しいとは思わなかった。

 

ハイジュエリーが欲しいとか身につけたいとか、似合う女になりたいとかそんなどこにでも転がってる誰もが口にしたことあるような思考はもうどっかへぶっ飛んだ。そんな一生かけて叶うかもわからない願いを持つこと自体をさらに、リアリティのある力にダウングレードさせつつアップグレードさせる、とてつもない魔力を孕んだ展示だった。

もちろん、母みたいに「絶対このカルティエの時計ほしいから仕事頑張るし貯金もする」みたいな目標は大事だと思うしそういう気持ちこそ一番蔑ろにしてはいけないもの。日常をこなすためのエネルギーになるし、ハイブランドのものってそうして買うまでのストーリーを持ってさらに輝くし。

わたしがカルティエの作品をつけてどこかに行くほどの社交界の人間ではないってことも前提としてあるけれど、それよりも圧倒的に、ジュエリーの持つ力みたいなのに動かされた。

 

この一個一個が芸術として成立してるハイジュエリーたちを前にして、言葉にならないパワーを受け取ったというか。

痛く聞こえるかもしれないけど、あれだけのダイヤやトパーズ、ルビーからサファイアからエメラルドまで、輝くものを次々にみて、フォルムがどうとか値段がどうとかではなく、本当に「時の結晶」ってこのことだと思ったんです。

 

1900年代初頭に作られた作品は、たしかに最近のものよりも輝きは薄い作品ももちろんあった。特にゴールドとかプラチナ。だけど、その少しくたびれた感じすら味があって美しくて、決して「古い」だけではなかった。ああもう本当に、とにかく全人類に見てほしい。

どんなに昔のものでもダイヤは360度に様々な色で輝いてて、その輝きは変わらない。本当に、どうしてこんなにみんなダイヤという宝石にとらわれ魅了されるのか、本当に分かった。

何度も言うけど、欲しいとか欲しくないとか、いつかこれが買えて銀座に住んでる女になってやるとか、最早そういう次元じゃないの。あの輝きを見て、見ている姿すら、わたしはあの空間に並んでいていい者かわからなかったし、だからこそ、異様にパワーを受け取った。

 

特に、今回のカルティエ展で最後の最後に見た虎のモチーフの大きな首飾りに凄まじい衝撃を受けて、宝石の輝きとかハイジュエリーへの憧れとかではなく、「この空間にいる自分」というものが一気に流れてきた。

 

蛇も虎も、今までただのアニマルモチーフだと思ってた。それは多分、こうして雰囲気を持って、美しく、芸術作品としてさらに輝くように飾られたものを見なかったから。あと、今まで人生を適当になあなあに生きてきたから。ハイソな人が身に付けるお高いアクセサリーとしての側面しか、いわば消費物としてカルティエを認識していたわたしの未熟さから生まれた「蛇や虎はちょっとな...」というものだったんだとはっきり突きつけられた。ほんとしょうもない。もちろんホコリを持って選んだ道だってたくさんある。わたしだってそんなにカスカスな人生ばっかり送ってきたってわけじゃないさすがにそこは少し自負してる。いままでの自分はたしかに自分が選んで生きてきたけど、目先のことにばっかりとらわれてる自分が恥ずかしくなった。

 

芸術作品として、ハイジュエリーとしての繊細さ、蛇や虎の動物としての恐ろしさ、力強さが合わさって、その作品だけでとてつもないパワーを生み出してた。

カルティエ展を見た後、ずっと「わたし、マジでこんなところでつまずいて立ち止まってクヨクヨ嘆いてる女じゃないし、そういう使命のもとに生まれてない。多分こんなところで立ち止まっていられるタチの女じゃない。強くもないけど弱くもない。でもわたしは絶対に自分に対して強くいたいし、自分を一番大事にしたいし幸せにしたい。そのためにしたたかに生きてやる」っていう気持ちが止まらない。

 

家にはたくさんのアートに関する本があった。リビングに並んだ画集とか、レプリカとか、はっきり覚えてる。もちろんその家は14歳で離れたので、手に取ったことはない。

小さい頃から特に父親に、アートには触れろと言われてきた。これまで生まれて277ヶ月、なんとなく興味あるものしか見てこなかったけど、アートや力強いものには絶対触れた方がいい。東京に越してきてから、父が何度もわたしに博物館や美術館での展示に誘ってくれたのか理由がわかった。というか、そういうのに感度の高い父がいるからこそのわたしなのかもしれないけど。

わたしはそれらから感じるものが多いし、気持ちが変わる。錯覚だっていいんだ。それを錯覚できてる時点で、少なからずともなにかを吸収したってことじゃんそれだけでわたしの勝ち。

 

わたしは強い。うそ、弱くもないし強くもないどっちでもない人間かもしれないけど、失いたくないものは絶対に失わない。それだけでいいじゃん。

若さにかまけることも、老いに恐怖を持つことも、時間に追われることもない。

生きることに余裕を持つ。

「時の結晶」が生まれるのをゆっくり待てばいい。そうして未熟さを熟成させて深みと味を持っていくし、固くて決して壊れないものになる。

そういうふうに時間を重ねて、柔らかく美しく、力強く、聡明に笑っていたいですね。

FENDIのパスケース買ったっていいじゃない

 

うるせえ!!!!!お前にそんな「金銭感覚どうなってるの...」みたいな顔をされる理由は一切ねえ!!!!!!!!!!

 

うるせえ!!!!!!!!!旅行に行かなくなったお金を別で使って何が悪い!!!!!!!!!!元はと言えば旅行楽しみにしてたのほぼと言っていいくらいのドタキャンでちょっとお金有り余ってるとまた顔関連にお金使いそうで怖かったんだわ!!!!!!!!

 

うるせえうるせえ、お前がなんと思ってようがこれがわたしの生き方だし生存確認方法なんだわ。

 

お金を生んで自分の好きなように使って満足して、ああ今日も生きてる。それだけなんだよ。

 

それはてめえだってそうだろ。好きなようにお金使ってるんだ、それになんでいちいちこっちの使い方やそっちの使い方に目的とか意味とかを求めてくるんだよ。意味わかんねえよ。

 

わたしの2万円はあなたたちとはシェアできないし、それはマルジェラのトートが欲しいっていう確固たる意志にしか使われないわけ。料理教室でもらったタダのトート持ってる人と歩くより良くない?よくないの?えっそうなの?じゃあわたしどうしたらいいわけ?しぬ?しぬの?あぷ〜ん、どうしたらいいわけ?

 

もうどうにもできねえよ。おしまいだ、この話はやめにしよう。もう終わりだ。

 

わたしはこの3万円はマルジェラのために使う。それだけだ。それになんの意味があるかって?

 

ねえよ。

 

金は意味もなく使え。それだけだ。

お金は他人って言葉いまだからしみるなあ。他人なんだよな。真理だわ。

生きるってめんどくせえ。

人と向き合うってめんどくさいね。お金ってなんでこんなに人をだめにするの?

金の切れ目は円の切れ目ってマジだね。ウケる。